うちの教室を卒業した教え子が、久し振りに遊びに来てくれました。
遊びに…というよりはむしろ、相談があってやって来たといった方がいいのかな。
彼女は、子どもの頃から教師になるのが夢で、
国立大学の教育学部に入学し、具体的な夢への第一歩を踏み出しています。
彼女は教育実習のために帰省していたのですが、
実際の教育現場に身を置いてみて、
自分は果たして、本当に教師になれるのだろうか?、なってよいのだろうか?と
悩むようになってしまったのだそうです。
子どもを取り巻く環境が、自分の子どもの頃とは別世界のようにあまりにも変わっていて、
自分がこれまで常識と思っていたことが通用しないことに、愕然となったようです。
私は学校の教師ではありませんが、教育課程を取り、教員免許も持っていますし、
ピアノ教師というやはり「教師」と名のつく仕事。
子ども一人一人と長くおつき合いし、
その子どもたちの後ろにいる何百というご家庭も見てきましたので、
学校現場の先生方のご苦労や、彼女が愕然となった様子は想像できました。
今の時代、各家庭の子育てに対する方針は多岐に渡り、そのすべてを受容するには
教師はあまりにも非力です。
追い詰められて自ら命を絶った若い先生のドキュメンタリー番組を観て、
その先生の心の叫びが綴られた日記に、胸が締め付けられたこともあります。
結局、私は彼女を勇気付けてあげられそうなことは
何も言ってあげられなかったように思います。
同じ教育者の端くれとして、自分の若い頃の悩み、現在の悩み、
悩みながらもなぜ、今もピアノの先生を続けていられるのか、
そんなことをつらつらと話しただけでした。
「先生って、そんなに色んなことを考えながら私にレッスンしてくれてたんですね…」
彼女は自分の悩みと重ねたのか、泣いていました。
彼女の涙は、真剣だからこその涙なのだとわかりました。
Mちゃん、私はあなたのような子がいてくれたからこそ、
今もこうしてピアノの先生を頑張って続けていられるんだよ。
もしもあなたが先生になったら、
きっと必ず、どこかであなたを力づけてくれる子どもたちとの出逢いがあるはず。
私がそうであるように。
彼女へ心からのエールを送りつつ、
まだ幼稚園児だったMちゃんと、こんなふうにオトナの話ができるようになったんだなぁと
しみじみとした気持ちになりました。いい先生になって欲しいな。